ネガティブ属性
先日のブログで書いた魔法の手帳いよいよ使用するときがやって参りました。

MACOさん監修のネガティブでも変わる!願いを叶える手帳でございます。
MACOさんの書かれている本を何冊かチェックしてみたのですが、…これだ…!というものを見つけました。

「『逆』引き寄せの法則」
わたし、確かにネガティブな事も闇な事も散々書くし言いますけど、自分の中ではそこまでではない。と思ってたんです。
この本の中でMACOさんが自分で引き寄せたものを自分を苦しめながら壊していき、精神まで蝕まれて、それが身体にまででてしまう話を書いてたんです。
そして、この本にはネガティブとポジティブは、同じ価値であり、善悪もない。
ネガティブを否定することは、自分全体を否定すること。
ネガティブをあるまま受容すること。
十分に受容したら、どうするか、どうなるのかを決める。
そんな事が書かれてあります。
わたしは、そこまでではない。とは思っていましたが、そうではなくて、ネガティブに分厚い蓋をしていただけだな。と思いました。
と、いうのも、わたしは小学4年生で鬱病と診断され、20代前半では軽い躁状態もあると言うことで、双極性障害Ⅱ型と診断されました。
気分が落ち込む。それだけなら、全然構わないんです。身体に出る。
わたしの人生の二大ネガティブですね。
ただ、なぜわたしがそうなったのか、思い当たる出来事はあるのに、それを思い出すのが嫌で、「嫌だった」「辛かった」って事に蓋をして受容しなかったんですよ。受容出来なかった。
受容しないまま、わたしは決めてしまった。
「忘れてしまおう」「排除してしまおう」「ダメな過去、人生の汚点」「もう傷つくのはゴメンだ」
ネガティブに対して一番してはいけない対処をしていたんです。
逆にネガティブを受容できた事を探してみようと思います。
…勉強が出来ませんでした。中学生の頃、母親に勉強できなことについての謝罪の手紙を書いたことがあります。
弟が秀才でした。秀才過ぎて足も手も出ないわたしは、開き直ってしまったんです。
「はい。勉強できませんけどなにか?」と。
理解し受容した上で、わたしは決めました。
将来の夢?漫画家になるか、掃除婦にでもなります。働いて、ちょっと好きな事できればいいです。それで十分です、と。
漫画はとある雑誌に一度掲載されました。掃除婦ではありませんが、働いて、ちょっと好きな事できてます。
ネガティブは自分の世界を明るくさせるサインであり、どうなりたいのか自分を知るヒントなんだそうですよ。
ポジティブだけでは、人は成長しないそうです。
さて、では、わたしが受容出来なかった過去のネガティブの「決め直し」を試してみます。
一度決めても決め直しができるそうです。なんどでも。
…気分が悪くなる人もいるかもしれないので、畳みますね。
お付き合い、ありがとうございます。
では、まず小学4年生の受容出来なかったネガティブから。
あの頃、少しずつおしゃれに目覚めていて、お母さんからマニキュアをたくさん貰ったのを覚えています。スカートが大好きでした。
父親に着替えを見られるのが嫌でした。入浴中、お風呂の扉を開かれるのが嫌でした。嫌とは言えませんでした。
ですが、わたしは、幼い頃から「父親が働いていてくれているから生きていられる」と母に言い聞かせられ、「父親に逆らう事はもっての外」、なぜ怒られているのかわからないまま父親に怒られる。そんな環境で育ってきました。
「嫌」その一言が言えなかったんです。
女の子として「恥ずかしがる」という行為事態を恥ずかしいと思った。
腰ぐらいまであった髪を短髪にし、後頭部は刈り上げにした。
綿パンとTシャツとパーカーを着るようになった。
「女の子」である事が恥ずかしいと思った。
中学生になっても、父親はお風呂の扉を突然開けるのを辞めなかった。わたしは「嫌」とは言えなかった。
中学生の頃は一人で浴槽で泣いていた。高校生の頃は泣くことさえ悔しくなった。
結局今でも「嫌」と言えないまま、お風呂の扉には鍵が付き、今でもガチャガチャされる。
本当は、殴って近所の交番に走って行きたいほど嫌だったんですよ。わたし。
わたしは昔から、父親の事が大嫌いだ。嫌いと思うことさえ許されないと思ってた。
たしかに、あの人が働いていなかったら、わたしは生きてはいないだろう。
誕生日もクリスマスもプレゼントを貰ったことがないよ。よその家は父親は娘に甘いそうだよ。
よその家のお父さんが優しくて羨ましかった。一緒にファミコンで遊んで貰ったことがある。友達のように遊んでくれるお父さんが信じられなかった。
でもそんなものは家にはないって、小学低学年で気づいていたよ。期待なんてしていなかった。
でもね、「娘」は「女」である認識はして欲しかったよ。わたしは「女」なのに、最低限の扱いも無かったのが悲しかったんだ。
ちゃんと受容できたんだろうか…
次はどうするか、どうなるか決めるんだけど、他人(父親)を変えることはできない。
このネガティブはわたしに何を伝えたいのか。
「嫌」「嫌い」と言う事が苦手だな。何に対しても。
「嫌」「嫌い」な事は嫌いなままでいい。
これだ…。
「『逆』引き寄せの法則」の本にも書いてあるんだよ。
「嫌いは〇、ダメは×」
嫌いは自分の感情を認めることになるけど、ダメは自分の評価。って。
たぶん20代前半のネガティブも似たような結果だけど、暇な人は読んでって。
初めての彼氏ができました。大切にはして貰えませんでした。
最初の浮気は付き合って一週間、2年付き合って、4回浮気されました。
浮気は相手からの自己申告で、わたしは言われなければ気づかなかった。
相手が謝ってきたので、そのまま付き合っていました。
浮気相手4人のうち最初の2人は友達で、次の1人は友達の友達でした。最期の浮気相手とあの人は結婚しました。
今では、わたしはあの彼氏が好きだったのかさえわかりません。
ただ、あの当時、わたしは本当に自分に自信が無くて、彼氏が出来たことが奇跡だと思っていました。
自信が無いだけあって、褒められたことなんて何一つありませんでした。
「服装」「体型」「化粧」「料理」「趣味」この5つの項目が特に否定され続けました。
なんで、すぐに別れなかったんですかね。やはりわたしに自信がなかったからなんですかね。
2人目の浮気をされた後だったでしょうか。たしか相手に「結婚したいね」と言われたのを覚えています。
全く嬉しくなかったのを覚えています。
もう、心が凍っていました。
会ったら褒めては貰えない体型の身体を求められ、朝起きたら顔を洗うのと同じ、当たり前の作業でした。
3人目の浮気、もう心が凍っているはずなのに、辛かったのを覚えています。
2人目の浮気の時に、わたしは「浮気は辞めて欲しい」とお願いしました。お願いしていたんです。
4人目の浮気、耐えられなくて、音信不通になりました。
「もう俺のこと嫌なんだね」とメールが来ました。なぜ、好かれていると思えているのか疑問でした。
その後も何通もメールが来ました。全てを無視しました。彼がストーカーになりました。
しばらく家に帰れませんでした。友達の家に泊まっていました。久々に家に帰ると、彼の車が待ち伏せしていました。
「久しぶり、元気そうやのう」暗闇で声がしました。わたしは逃げるように家に逃げ入り鍵を閉めました。
ストーカーは暫く続き、近所の交番の警察官にしばらくの間だけ、家の周りを見回って貰いました。
それから、わたしは精神科にお世話になるようになりました。
携帯電話に触れなくなるほど、着信が怖くなったんですよ。
怒りもありました。でも、悲しさの方が強かったです。辛かったです。大切にされたかったです。
「彼氏」も「父親」も「男性」、わたしは男性から大切にされる価値がないのだな、と思いました。
男性に関わっていたら、ボロボロにされてしまう。だから、極力関わらない。わたしはそう決めてしまいました。
婚活も上手くいかないわけです。褒められても信用できません。そして、わたしは傷つけられるのを待って、ほらね。やっぱりわたしを傷つける。とそこでばっさり異性を切ってしまうのだから。異性とコミュニケーションを取るのも苦手です。恐怖を感じます。
「弟」は大丈夫なんですよね。「弟」は「弟」という認識らしいです。弟は優しいし、もう良い年齢ですけど、可愛いです。
決め直し、出来ますかね…
わたし、男性を怖がってビクビク生きるのもう嫌なんですよ。
極力関わらない。一度そう決めてしまいましたお陰様で、職場は8割以上女性の職場に現在勤めています。
引き寄せの力は凄い。そこは成功してしまっています。
女性は優しいから好きです。わたしの周り、優しい人しかいません。残らないんですよね、優しい人しか。
これも女性は優しいと、わたしが決めてしまっているのでしょうね。
わたしの周りには優しい人しかいない。残らない。と決めましょうか。
性別は断定せず。
さて、長くなりましたね。
ここまでお付き合いありがとうございました。
最期に、ここ最近で一番ほっとした言葉を
「人生に無駄な事なんて一つも無い」
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