自分語り
こんばんわ、鈴来です。
先々週、一人プチ旅行に行ってきました。目的地は気多大社。
過去に一度言った事があったので迷子にはなりませんでしたが、途中から自分語りで人生の迷子になります。
人生の目的地とは。

目的地は気多大社。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。わかりやすく言うと、大国主(おおくにぬし)。
今年、わたしが初詣に行った高瀬神社、わたしも何度か足を運んだことのある有名な出雲大社とも同じ神様。
縁結びの神様です。

入らずの森。一万坪もあるそうです。姿かたちは見えないけど奥宮が鎮座してるそうだ。
いつものように、お守りを頂いてきました。
参拝帰りによった千里浜なぎさドライブウェイ。

「人生とは」
そんな写真が撮れました。
浜辺で車に持たれて海眺めるのってかっこいいごっこしてきました。死ぬほど寒かったです。※一人
本題です。
今日のブログは自分語り。
わたしは書道やエレクトーン、水泳…先生方には無理だと言われていたが吹奏楽でアルトホルン、色んな事にチャレンジさせてもらえる子供でした。
とても楽しかったのは覚えています。段を取ったり大会にでたり…でも、好きな事を特技だと言えるほどの子でもありませんでした。
運動神経は悪いほうだったし、勉強は教科で差が凄かった。できない教科はずば抜けて出来ない。
見た目は地味、行動は鈍い、いじめの対象にもなりやすかった。
それは今でも続いていて、あのころよりわたしは周りの人間より出来る事が極端に少ない。
時折、自分と同じスローピッチな人を見つけては眺め、結局「あー…この人もだ。この人も普通の事が当たり前に出来る人だ」と思う。
ここで闘争心が生まれればいいのだろうが、普通の事を当たり前に出来る人は嫉妬を軽く超えて憧れになってしまう。
この人も凄い人だ、とその人から一線引いてしまうんだ。これがコミュ障の始まり。
しかしそんな人たちの中で、わたしを相手にしてくれる人種が二種類いる。
この程度の事になら使えるだろう。暇つぶしぐらいになら使えるだろう。ダシにくらい使えるだろう。という見下し蔑んでくる人種。
何の得もないのに、なぜか対等な立場で接してくる不思議な人種。
最近は後者の人たちが周りに多い気がする。
その人たちからはっとさせられる言葉を聞いた。
K氏「わたしたちって誰一人ダブってないよね。個性というかなんというか」
F氏「自分持ち過ぎ、お互い影響受けなさすぎ」
N氏「中でも一番頑固なの鈴来でしょ。このパステルイエロー(イメージカラーらしい)は黒でも塗りつぶせない」
O氏「いやいや、N氏の魅力的なアイラインも負けてない(刺青)」
鈴来「K氏も本職踊り子(イメージ)なのばれてるからね」
個性バラバラな人たちの中の一つの個性としてここにいられてるんだなって思った。
たしかに、自分がする事は納得するまで同じ事を続ける事にだけは特化していた気がする。つまり、頑固さ。
書道歴6年、エレクトーン3年、水泳10年、アルトホルン3年、一次創作活動20年。
ふんわり賞に入ったりはしてるけど、成績的に特化していない。
創作活動なんて20年やってて漫画掲載歴1回、デザインの何かでふんわり賞3回。
すんごい地味。社会人になってからはもっと地味。
でも、もしかしたら頑固さを特技にしていいのかなって思った。
個性が強くなった理由は頑固さ。それがありのままの自分で、そのままでよくて、それに気がついた。
なんだか自分に自信がついてくる。だってそのままでいい。無条件。
前者の使えるだろう。という見下し蔑んでくる人種に苛立ちを感じるようにさえなりました。
だって、自分を対等に扱ってくれる人がいるんです。居心地いい方選ぶに決まってるじゃないですか。
何を考えて悟った所で、わたしが出来る事が人よりずば抜けて少ない事には変わりません。
赤は三倍速いとニヤけながら買った赤色の軽四ではスポーツカーには追いつけません。
走ると砂浜でタイヤを取られっぱなしです。

いまだって、赤は三倍速いはずと赤いノートパソコンでブログ打ってるけど、タイピングがずば抜けて遅い。
これでもチャット全盛期からパソコン触ってるんですけどね。
色々無くても、自分らしさは無くしちゃだめです。面白みまで無くしてどうするんですか。
ちなみにこの車、カーナビ付いて無いです。人生の道含め、普通に迷子になります。
それでは、良い人生を☆
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