どうもこんばんは。カテゴリは創作。鈴来です。
今日はいま小説で書いている、レイキくんの誕生日です!
おたんじょうびおめでと~~~!
小説「Daydream world」ページにリンク貼っときます!
彼を創ったのは中学生の頃。話を考えたのも中学生の頃だった。だけど話が長すぎて、当時のわたしではプロットさえ組めなかった。
頑張るよ、小説…。
というわけで、創作語り。友達語り。
現在、幻想(ファンタジー)で小説を書いているのですけど、人間関係というのは作者の性格が出るんですよね。
実際の人間関係も出るし理想も出る。
以前も
「友達」をテーマに書きました。
なぜそんなに考え込むのか。
それはわたしがコミュニケーションを苦手とする人種だからだと思います。コミュ障というやつです。
大辞林 第三版より
「友達」
一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。
こんな風に聞かれたことがある。
「鈴来って、どこからが友達でどこまでが知り合いなの?」
わたしはこの質問が忘れられない。
わたしの友達(だと思ってる人)の大半は、わたしが小説を書いていることを知らない。わたしが絵や漫画を書いていることを知らない。
パソコンを持っていることは知っているが、個人サイトを作ったりブログを書いていることを知らない。
つまり、わたしの一番好きな、一番長く続いている、人格を構成していると言っても過言ではない趣味を知らない。
オタク趣味を知らない。
わたしは古い腐女子だ。こういった趣味は隠れ忍んで嗜むもの。
一緒にいて話せば話すほど遊べば遊ぶほど、自分を偽っている、相手をだましている気がしていた。
果たして、友達と呼べるのか。
では逆になんでも言い合える方が良いのか?
言い合うからこそなんでも知っていて、知っているから一緒のことを一緒にして、だからこそ喧嘩もする。
…こちらの方が、友達らしい気もする。
だが、距離感が近い。踏み込まれすぎるのはどうなんだろうか?距離感も大事だ。
辞書通りの意味なら範囲はとても広い。
親しく交わればいいのだ。なんでも言い合える必要は無い。
ここ最近考えた「友達」のわたしの概念。
たとえばご飯を食べに行くという目的があるなら、同じ目的を持つ仲間で、個々がご飯というメインイベントを楽しみつつ、会話する。
たまたま何かについて同じ方向を向いてて、一緒にいることが多い。
それが「友達」。それでいいのではないかな、と。
わたしが今書いている小説は、ライラ(※小説のヒロイン)→レイキに対しては、兄妹愛のような友愛。
レイキ→ライラは恋愛感情。
レイキはライラは恋愛感情を向けられるのが苦手なことを知っていて、ライラに対して恋愛感情を押し殺し、ライラに合わせて友達として一緒にいることになるのだが、わたし的「友達」概念で考えると、同じ方向を見ていて、目的も一緒で、レイキは見ている方向を時々ライラに移す。そんな感覚。
男女の友愛。これはわたしの理想です。
語るのって難しいね。
それでは、皆さん良い友達を…!
テーマ : 創作・オリジナル
ジャンル : サブカル